teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


新着順:5/747 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

曲って

 投稿者:鳶職人  投稿日:2017年 4月13日(木)21時03分14秒
  通報 編集済
    久しぶりに直交クランプスのスタジオ練習の録音を最近聞いていた。

人に何を言われても、まじでいい曲で素晴らしいと思う。 歴代のメンバーそれぞれの個性やその時代の日常が頭によぎりながら聞ける、バンドマンの特権だ。

「あー そういやこの曲最初はこんなアレンジしとったっけ」とか色々思い出すんよね。

曲書いたことない人、あるいは書いた人でも理解不能だと思うけど、俺の感覚上は曲がだんだん人格をおびてくる。  だんだん友達みたいな感覚になる。

目茶苦茶昔書いた曲は自分の中で勝手に「親方」みたいなオーラがある。  しかしそれはあくまでも自分の感覚で初めて聞く人には「何この子供みたいな歌!」みたいになる。

俺は「親方」オーラだと感じる曲に、「くすぶっててすまねえな、、  いやすいません。」という気持ちになる。

元々仕事以外、楽しかったこと怒りの場面悲しい場面の記憶は人の100倍残っていると自負している。だから一つの曲で思い出すことは半端ではないのだ。

慎ましく一人でも曲作って歌っていくのか、また誰かとバンドやるのか、 とにかくタイミングはまた訪れる。

俺にがっかりしたり失望したりする人 いくらでもいる。   その都度考えてるし反省するし時には塞ぎ混んでる。

だけどそれが終われば何もない。   それでもまた会いたいと思ったらまた会っているしじゃなければ会わない。  後ろを見ながら前向いている。 前向きながら振り替える。


「これはアカンな」と思ったら「もう駄目だ」と思ったら、 大昔の曲達が猛烈にメッセージをくれる。

仮に現実に友達が一人もいなくなっても、 俺は自分の作った曲が友達だ。

だけどその曲を裏切ったら、現実人間の友達はいたとしても俺は孤独を抱えて死んじゃうだろう。

自分自身に嘘はつけないのだ。   魂を誰かに売ることは出来ないのだ。

本来曲はそうじゃないのか。  すなわち自分の魂じゃないのか。
 
 
》記事一覧表示

新着順:5/747 《前のページ | 次のページ》
/747