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(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月24日(土)23時54分48秒
  「愛してる」と最後に言った?
「教主の地位を妻に移譲する」と言った?
 
 

(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月24日(土)01時00分55秒
編集済
  また思いつきの、御託を並べたらしい。今回は「息」という言葉が多数使用され、全くややこしい、独特のお話だったようで、内容はいつもと同じで、ただ今日はこちらから見た主神論のお話なので、前略、中略、後略でも長すぎるので、以下同文で十分意味は通じる。
理解不能のお話をありがたくいただくというのだけれど、裸の王様の話に似た状況があるだけです。

ガン治療を受けておられた方がお亡くなりになったと連絡が入っていた。
それについて、お気の毒、可哀想という気持ちを持つ方は少なからずおられるに違いない。

ただそういうケースの中で浄霊させていただいたことが複数回ありますが、人の気持ちとは色々あると感じました。人の気持ちは、時には錯覚とか作り話とかが混ざってしまうことがあるからだと思いますし、現実を受け入れることが難しいというのもあります。
またさらに異なった見方、気持ちもあると思います。

今回のそのケースは、一般に知られていたので、少なからず注目はしてましたが、近い体験から、想定外のこともありうると感じてます。

ただ抗がん剤が効果があったにしても、健康な部分がその抗がん剤の効力に勝てるとは思いませんから、無医薬という道を知らされているというのと、全くことなった役目があったのでしょう。
 

(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月22日(木)08時14分9秒
  ごく一般の浄霊の信者さんが、1日に浄霊や活動に関わる時間はどれくらいなのだろう?毎日浄霊するということは家族、夫婦で浄霊をする場合にはあると思いますが、そういう環境でない場合は、ほとんど月に一度くらいの浄霊回数というらしい。また活動と言っても菜園を持っておれば行く時間を費やすだろうけれど、ほとんどの場合はプランターさえないし、ましてや生け花をするとしてもお花がないし、花を買ったとしても、生け花にすることはきっとない。
浄霊の方々は、ほとんど浄霊関係に関わる機会がない。
まさかどこかにオーガニックのレストランがあって、食事というのが、御用になるというのもひょっとしてあるのかもしれない。
浄化者訪問は病院に行くことはあるかもしれないけれど、御宅に訪問はないだろう。
というような確認の会話をしてみた。
聞いてみたところ、まったくその通りという感じの返事だった。
どうも浄霊は何もしないところだということになってしまったらしい。
 

(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月21日(水)13時42分17秒
  この頃一昔前のことをあえて思い出すこともなくなって、つまり思い出にはほとんど価値はないと自覚してるわけです。
ここの浄霊は、おそらくあちこちの浄霊と似て、ほとんど活気のない状態になっているようで、長年御用されてきた方々の多くは、すでに浄霊をいただくことさえ容易ではなくなっているというのも少なからず聞くわけです。
浄霊をいただくこととは切り離される中で、しかし、時には浄霊をいただく機会もあるという感じなのだろうけれど、浄霊のない日々とは不思議なのだろうか?それとも別に浄霊がなくても良いのだということなのだろうか?
先日とある方に、久しぶりに浄霊をさせていただいた。思えば長いこと信者でありながら、多くの部分で浄霊を拒否されていた方でもあって、機会があって浄霊を受け入れてくださるようになった。
家族が浄霊に猛反対するのでというのを、いかにして浄霊に賛成してくれるようにするか?ということをテーマにしている方々は存在してるのか知りませんが、以前からそういうことをよく思うわけです。皆さんの幸せを思うが故に、和合も言うのですが、その浄霊反対に対して・・・まあ教祖の頃にもそういうお話は残されてますが、時間をかけてということながら、当時はそれでよかったのかもしれませんが、当時からの信者さんが今もそんな状況になっていて、それは時間がかかり過ぎと思うわけです。今日において家族の中で、未だに浄霊に反対という状況がある。
 

(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月21日(水)02時54分41秒
  教祖の生活の中のお話で、ご奉仕の方にミツバを摘んできてくれというのがあります。
そのご奉仕の方が、ミツバを畑からですか、とってこられた。ところが根ごととってこられたのを見て教祖は、根を残し、周りの葉を摘むようにすると、後から新しい葉が出てきて、いつでも必要な時に摘むことができるというようなお話が残されてます。
信仰というのは消えるけれど、そういう生活は残るとしたら、この宗教はその生活のあり方を教えることの方が大切なのだと思う。
先日伺った話では、どうも一元化でも大きな影響が加わったようで、様相が大きく変わったそうなのです。
歴史の中で失われたものがあって、頭での信仰は残っても、生活というのが消えたようです。
 

(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月21日(水)02時03分15秒
  五風十雨
【読み】 ごふうじゅうう
【意味】 五風十雨とは、世の中が安泰であることのたとえ。また、気候が順調で農作物に好都合であること。
【五風十雨の解説】
【注釈】 五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降るの意から、気候が穏やかで順調なことで、農作物によいとされる。
また、転じて、世の中が平穏無事であること。
『論衡』に「五日にしか一たび風ふき、十日にして一たび雨ゆる」とあるのに基づく。
「五日一風、十日一雨」ともいう。

と出てまして、善言讃詞に五風十雨のくるいなくとありますが、実際そんな環境を実現するにはどうしたらいいのでしょう?
 

(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月21日(水)01時40分1秒
  浄霊・・・と言ってもここのことですが、ここで可能なら世界のどこでも可能なのだろと思うわけで・・・。
メシヤ教さんのところの体験談がありまして、長い年月の信仰をされているらしい。そしてメシヤ教さんのところで御守護をいただいてということ。
長い年月の間に信仰をされて、その間御守護のある時もあり、また御守護がない時もあって、メシヤ教さんにお導きをいただいたということなのでしょう。
そんなお話を読んで、新たな信仰をいただいているのかと不思議に思うばかりです。
いろいろな浄霊団体を移ってということを体験されている方は多いと思いますが、当然その間の年月が費やされて、例えば5年とか10年とかとしましても、家族に影響はなかったのでしょうか?
家族とも一心同体で信仰をされたということとなれば一体どんな強い信仰だったのだろうかと思うわけです。
浄霊の団体は全くロクデモナイと思っている方々は少なくない。またはドウデモイイ、関係ない、関係したくないというレベルの方も少なくない。
その浄霊で御守護を頂くから正しいというのも、大変惨めだと思う。御守護をいただいてもそれは信仰を継続する理由として使われるだけだからです。
それゆえに団体に属し、信仰をするというのはそれこそミロクの世になれば信仰は消えるということですから、目的は何なのだろうと理解した方が良いと思うわけです。
実は体験談のお話のような話は多くあって、信仰に一生懸命ということで、そういう資格者さんも多いのは衆知なわけです。知り合いの資格者さんのお子さんは信仰を継承してなくて、自由にさせてますということですが、甚だおかしなことです。全く自慢できない信仰、何の利益もない信仰ということなわけです。
一体何なのだろうというのはつまりは信仰、信じて仰ぐことだけをしてる。ところがみ教えにはこの信仰と他の信仰は違うとありまして、それは・・・皆さんが頭ではご存知で、実行にまで至っていない。当然長年そういう指導をされてきました。
 

(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月15日(木)00時29分45秒
  18番としたのは住んでいた番地ということで、18番に住んでいたので、たまたまそうしました。
現在の住所も結局のところ18番目の通りということなのか、18番に変わりがないということになってますから18に縁があるのかなあと思ってます。

子供の頃に家族揃って夕拝をしてると、祝詞の言葉に名前があるので、肘で隣を突き、お前の名前がきたぞと不真面目にやってましたが、しかしながら、3つ子の魂というか、門前の小僧というか、脳に刻まれ、その後にも何かしらに影響を与えるそんな日々があった生活でした。
そんな古い話は、昔の写真を見て思い出すわけです。
昭和6年6月15日は666のように思うわけですが、567とか、666とか765とか18になって、しかし、ミロクの世は369になるとある。

以前友人のNさんが、某エヌさんを連れてきて、「この人は666の悪魔なのだ・・・。」とか紹介してくれまして、まさに危険と感じ、Nさんには、関わらない方がいいのではと話したことがありましたが、性懲りも無く、放漫な性格からか、その後に随分酷い目にあったそうです。

メシヤ教さんのところで神様の話が出てまして、複雑なことですが、当時のその団体は知識では随分進んでいたのだなあと感じますが、別に発展もしてないので、知識と発展はあまり関係もないのかと理解しました。
そういう複雑な神様のお名前などは、歌にして覚えるようにすると、きっと誰もが理解できるのだろうと思います。
それでも今になってそういうお話が出るというのは、なんとも情けないことで、なんだか、怪文書のようで、再検査によって出てきているようなことなのかもしれないので、文部科学省の怪文書も出てくるのでしょう。
今の時代がなぜこんなに混迷しているのかと思うわけですが、型で浄霊には隠していることが沢山あるのでしょうと理解出来ると思います。
教主に盾をついて、お出まし頂かなくていいということが先の2月4日の経緯ということですが、確かにその日の気分の主神論を毎回聞かされてはたまったものではないですが、いまだに教主様のお言葉に学ぶということを平気で言う指導もあるそうで、それぞれのお話には主神が五十回も出てくるので、お話は面白くもないジョーク交じりの挨拶、以下毎回同じ主神論で前略、中略、後略で終わりの挨拶で終了という張り紙でじゅうぶん対応ができるものと判断されたのだろう。
 

(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月10日(土)23時46分47秒
  浄霊の情報交換の場は以前は随分ありましたが、今ではほとんどなくなって、ましてやこの掲示板ですら、管理人さんのホームページと切り離されたようですから、さらに屋台骨があるのかないのか、骨なしのようになってきている。
ネット中においての浄霊についての情報提供はほとんどなく、しかし、おそらく会員制の情報交換はあるのかもしれない。
ガンの数値が上がった、下がったということを浄霊を受けた方が知らせてくれるわけですが、その高低によって、治療が始まったり、終了したりという目安になる。
ですから、浄霊によって数値が治療をしなくて良いのレベルになることが目的で、その間に食事を正したり、無医薬になるように情報の提供をします。
もっとも浄霊の御守護をいただいた方々が浄霊を始めるというのが、浄霊世界の一般の理解ですけれど、さて団体では内容のない、救いのない信仰があるという現状です。
信仰の継承はほとんど薄くなっているというのを否めることはできません。
先日もそんな話を聞いた。全く活動がないのだということなのですが、もちろんそんなことは知ってますから、そうですかと答えるしかない。
しかし、資格者にしてみれば、生活が安泰ということが第一です。今後10年とその後の退職と、地位があれば生活は安泰ということのようです。
おまけに根本の光が塞がれてますから、浄化しない!これが目的でしたね。
生活病や、環境病など病気しますが、浄化しないという顛末となっています。
 

(無題)

 投稿者:18番  投稿日:2017年 6月10日(土)02時39分18秒
編集済
  浄霊の効果がない根本原因は光を止めることです。
例えばお光を落としてしまった場合、お詫びしてお清めをしていただくということがありましたが、それは、光が下に落ちたことの理由が、汚れだということからです。
光は、汚れると止まるという簡単なことを、邪神は使い、それは副守護神に指令が行くと、例えばご神前で罵り合いとか、喧嘩をする。これで光は終了です。
もちろん分裂の時は、大きな争いがあって、それで光の周りのクモリが厚く覆われていく。
さてその争いの原因は、クモリですが、病気の原因は薬ですから、薬は結果てきにクモリの要因となる。ということで医薬、薬剤を体に入れない。

無医薬の教え、また無農薬の教えは現在世界の最先の動きなのが、全く不思議でなりません。その動きはさて日本において大きいものであるのか?というと『日本のオーガニック農地面積はたった0.1%。海外と比べ100倍の差があるのはなぜなのか。グリーンピースに理由を聞いてみた。』とあるように、需要も供給も小さいものです。
さて無医薬はというと浄霊と医療の併用という言葉があるように、ほとんどの浄霊の方々は無医薬の生活を送っていないのは衆知のところです。しかし、実を言うと浄霊に効果なしという認識は団体にはある。
この浄霊に効果なしの認識は、み教えとして発行されていた『天国の礎』には浄霊についての教えはなく、また無医薬についての教えも、無農薬についてもなかったわけです。
団体の存続のためという方針であったそうですが、その結果浄霊は治療という概念から、祈りによる浄霊に変わる。
当然浄霊の専門家は消えることになって、その後お光は、教祖の御光ではなく、時の教主の書いたものをコピーしたものとなり、その後、海外において不便ということから金属のメダルの中に『光』の文字を縮小プリントしたものを入れた。もっともその間において離脱、独立した浄霊団体は、それぞれの方針を取っていて、また、御神体もそれぞれの決定によるようだし、浄霊方法もそれぞれの団体独自のものにしているケースもある。
さらにはそれぞれの聖地を決めて、活動もしているのだから、浄霊は多様になっているのだろうけれど、さて奇蹟は起きているのか?
少なくとも私の界隈においてはそういうことは聞かない。
 

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